
ロバート・クレイマーを語る part2
水原文人 (2000年11月4日 BOX東中野)
今晩は。
そもそも僕はこういう場所でお話するようなことはあまりしたくなかったんですけど、一応個人的に彼とは長らくやり取りしてたりしたことがあって、個人的な思い出を話して欲しいということでこの場に来たんです。でも、個人的な話をするとなるとまだ亡くなって一年しか経ってなくて僕もちょっと辛いんで、何を話していいのかなと迷ってるところではあります、正直に言って。
クレイマーがどういう人だったのかというと、彼の作品そのままの人だったという風に言うのが一番いいと思うんですけれど、ただ「作品そのまま」と言ったときに、我々がどこまで本当にその作品を理解できているるのかということが問題になると思うので、そのへんの、彼の作品と我々の間にあるかもしれない垣根みたいなものをちょっと壊そうかな、壊せればいいなという感じでお話させていただければと思います。
僕がロバート・クレイマーに会ったのは、97年の山形国際ドキュメンタリー映画祭の時のことです。彼が審査員として来日し、僕はちょうど山形国際映画祭でスタッフやってたんです。それで当然彼と接する機会がありまして。その後彼は一月くらい日本に滞在して日本中歩き回っていたんです。
で、東京映画祭があって、3本くらい彼の作品が上映されたんですね。その時にインタビューさせてくれって言ったら、喜んでくれたのかどうかよく分からないんですが、延べにして結局3時間くらい付き合ってくれました。そのインタビューの最初の時に、何から尋ねたらいいのかということで、歴史的なこと、つまりニューズリールの時代のことから話を始めたらいいのかなというようなことを僕が言ったら、「いや、そういうことよりも、お前が今一番興味持ってることから聞いてくれ」と言われたのが非常に今でも印象に残ってます。
つまり、「お前が一番興味持ってること」って、多分僕が何に一番興味を持ってるか彼も気がついているからそういう風に言ったんだと思うんですけれど、つまりそれは現代の問題を、やっぱり彼は語りたいということです。しかも現代の若い人間に対してそういうことを語りたいという気持ちをとても強く持っている人でした。
で、残念ながら今日の観客席にその10代後半とか20代の人があまりいないというのに、この場でこういう話をするのは、ちょっともったいないのかもしれないんですけど、彼はとにかく若者との対話というものを非常に強く考えていたし、その結果多分僕がある意味で一番彼の近くにいることが出来たっていうのは、僕が多分彼に接した中で一番若かったというのが最大の理由じゃないかと思います。僕は今29ですけど、当時26歳くらいでしたから彼から見れば彼の子供とちょうど同じ年くらいで、実はロバートが僕の父とちょうど同い年だったりして、そんなこともちょっと言ったりしたら、あ、そうなのかみたいに笑っていましたけど。
彼とどういう話したのかっていうことの内容をやっぱり話さなければいけないんですが、実はこれカイエ・デュ・シネマ・ジャポンのインターネットのHPで一応全部、若干編集はしましたが出てるんで、そこを読んでいただくのがいいんじゃないかと思います。
ちょうどその時の段階での彼のフィルムとしての最新作が『ウォーク・ザ・ウォーク』という作品で、僕はこれ山形でやる前にパリに行った時に観ていたんですが、山形でもその作品を上映しまして、その作品がちょうど現代のヨーロッパの問題を扱っている映画だったので、その作品の話から始めたんです。
ロバートは80年代の頭くらいからヨーロッパに移住して、主にパリを拠点にして活動していたんですが、とは言っても作ってる作品は必ずしもヨーロッパについての作品ではなくて、例えば今回の上映で入っている作品は、『ルート1』ですけれど、『ルート1』はアメリカについての映画ですよね。要するにヨーロッパに住んでいた人間がアメリカに戻って現代のアメリカを見るという構造の映画であったし、一方でその『ルート1』と同じ主人公が最初に登場した『ドッグス・キングダム』という作品は海外で過ごしているアメリカ人という設定で、アメリカ文化が世界にどう広がっていくかということも彼の頭の中に多分あったんだと思います。
それで『ウォーク・ザ・ウォーク』を作るきっかけをまず教えてくれたんですが、これがなかなかいい話でして、彼の娘さんが確か僕と同じ年かひとつ下くらいなんですけど、彼女が世界を見るために放浪の旅に出たいって言ったんだそうです。彼と彼の奥さんのエリカに。その時にふたりともものすごく心配したって言うんです。今の世界はある意味とても危険な場所になっているから、何の予定も何の計画も無く旅をするということがいかに危険なことか、もしかしたら殺されてしまったりするかもしれないってことを考えて、最初自分たちは反対した。でもその反対する自分たちは何なんだろうということをその時に考えたって言うんですね。
つまり彼は60年代に、今ご覧になったニューズリールみたいな形で映画作家としてスタートを切った人ですけれど、その時は非常に彼らの考え方も自由だったし、社会も自由だったし、世界もここまで暴力的な場所になっていなかったんじゃないか。それがなぜ自分の娘が自分と同じようなことをやろうとしている時に自分が反対するのか、それは自分たちが変わったのか、それとも世界が変わったのかってことから考え始めて、それが『ウォーク・ザ・ウォーク』という作品のベースになったのだということです。
この『ウォーク・ザ・ウォーク』ですが、多分ご覧になってる方はほとんどいないんじゃないかと思いますけど、詳しくはちょうどここで売っている97年の山形映画祭のカタログにも解説が書いてありますけど、要するにひとりのアフリカ系フランス人の女の子が旅に出る、一方でその女の子のお父さんも旅に出る。で、ヨーロッパをそれぞれにさまよっていくという話なんです。
『ウォーク・ザ・ウォーク』という作品を、ほとんどの人が見てないのにそんな話をするのもなんなんですけど、ちょっと話しちゃいますと、主人公たちがドイツに行ったり、最後にはロシアの方まで行ったりするんですが、ここだと分かるいわゆる風景ショット――僕流の言い方すると絵葉書ショットって言ってるんですけど――つまり絵葉書みたいにこの町はこうですというショットだとかは全然入ってないんですよね。移動の感覚はあるんだけれど、フランスからドイツに行った、ドイツから東ヨーロッパに入ってロシアまで行ったと、その国境を越えるという感覚も全然無い映画であって、その辺が非常に僕は面白い映画だと思ったんです。
でもロバートに言わせると、これはヨーロッパ人が見た時にはかなりショッキングに感じた人が多かったということなんです。ヨーロッパ人の歴史的伝統からすれば、例えばライン川のフランスとドイツの国境では文字通り何百万人もの人間が戦争をやって死んでいるんですね。でもロバートから見れば、自分は歴史の後継者として生きている人間ではないからそういうものは自分の中では感じられないので、わざとそれを無視した構成にしたかったと言ってました。
一方でヨーロッパは今統合しようとして、現にECだとかが活発に統合の動きを続けていますけど、実はヨーロッパが国境を越えてひとつになると言うことは、国民感情からするとある意味すごく大変なことなんですね。ただ外国人であり異邦人であるロバートの目から見ればそういうことは感じられない。だから敢えてそういうことは無視した作りにしたかったという風に教えてくれました。
彼がなぜ映画を作り続けるのかということについての質問に及んでいくと、結局彼は何よりも僕のような世代の人間と対話をしたいし、自分が今まで生きてきたことを通して学んだ世界について、あるいは人間について学んだことを伝えたい、そしてその知識を持ってる人間が若者と対話することは重要じゃないかっていうことを言っていました。つまりある意味でロバート・クレイマーという人は、いわゆる映画狂カルチャー、シネフィルカルチャーとはまったく無縁の人であったし、無縁であろうとした人だったんです。
それで彼が僕のことよくからかって叱るみたいに言うのが、お前は映画ばっかり見過ぎている、映画狂過ぎる、映画なんてそんなに重要なものじゃない。もっとちゃんと世の中を見ろ、というようなことでした。外国の立派な映画作家の作品ばかり見てるより現代の渋谷をちゃんと見ろみたいなことも言われましたね。
東京国際映画祭ってご存知のように渋谷でやってますけど、彼は渋谷の街を見てものすごく興味を持っていた。というのは日本の若者たちが何を考えているのか非常に興味があるし、一方でその渋谷の街というもの自体がある意味で現代社会・現代文明の縮図みたいな要素を持っている。例えばそこら中に広告がある、彼の目から見れば――その見方僕も賛成だし、多くの人が賛成だと思うんですけれど――現代の文化というのは実はもう広告カルチャーになっている、その広告カルチャーに対してどう人間が生きていけばいいか、それに対抗してどう生きていけばいいのか。
ま、実は同じようなことを僕はエドワード・ヤン監督にも言われたことがあるんです。エドワード・ヤンもそういうことを考えているから『カップルズ』という、日本では大変にハズれてしまった――僕は傑作だと思ってますが――そういう映画作ってるんですけど、そういうことを考えるためのきっかけとしての映画というものをロバートはずっと考えていたんだと思います。つまり世界について考えるための情報を与えるものとしての映画。だからと言ってそれはいわゆる客観的な事実としての情報を、ニュース報道みたいに人に押し付けるというものでは全然ないわけです。
よくロバートの映画がドキュメンタリーなのかフィクションなのかっていうのが、議論になるみたいなんですけれど、彼から見ればそんな議論をすること自体がナンセンスなんですね。と言うのはどんな形で映画、例えばドキュメンタリー映画を作ろうとしてもそれは客観的なものでは絶対に有り得ないし、客観を装うということはある意味で偽りではないかということです。
彼は、今回の上映プログラムの中にもあるニューズリールのような作品から出発しています。そこのニューズリールの原点の発想のひとつが、アメリカのメインストリームのメディアの情報発信の仕方というのは、日本の現代の新聞でもそうですが、一応客観報道ということを装いますよね。でも実はそこで報道されている内容というのは新聞なら新聞、TVならTVを作っている人間が自分たちの選択によってある種の情報をある種のバイアスをかけて流しているものに過ぎない。なのにそこで客観報道を装うということはまやかしであるし、それは不誠実な態度だと。そうではなくて自分の視点というものをはっきり示すことが重要だと。
その視点という問題が実はロバートの映画の文体にも非常にはっきりと反映されていくことになりまして、つまり『ドッグス・キングダム』までは別のカメラマンですが、みなさん多分ご覧になってると思う『ルート1』のカメラはクレイマー自身が回していますし、さきほどお話した『ウォーク・ザ・ウォーク』のカメラも自分で回しています。それが彼の一つの選択だったわけです。カメラが、ある意味で映画の中のもうひとりの人物として物語の中に参加していく。
『ルート1』をご覧になった方はご存知だと思いますけど、主人公であるはずのドクターが途中でふらっと消えてしまって、戸惑いながらもカメラだけ旅を続けていくというとてもおかしなことが起こるんですけど、そういうカメラという自分の視点をはっきりと示すということが彼にとって重要なことだったんだと思います。その視点を提供することによって「私は自分の見てきている世界をこう見ている。君たちはどう思うか」ということを彼は常に観客である我々に問いかけていたんだと思います。
その中で彼が3年前の段階で自分が抱えてるジレンマをかなり率直に話してくれました。どんなことかと言うと、自分が映画作家として自分の作風はどんどん洗練されていくし、ある種の自分なりの進歩の過程を生んでいって発展してっていると思うんだけど、その結果それが観客、特に若い観客にもしわかり難いものだったらどうしようかと。つまり自分のアーティストとして追求していくものを、それだけを追求してしまうと、世界についての対話を観客との間に持ちたいという、彼が映画を作る最大の目的としてたことができなくなってしまうんじゃないかということなんですね。
例えばゴダールの映画の話なんかちょっとしたんですけど、ゴダールがやろうとしたことはある抽象化ですよね、抽象化ということは言いかえれば、映画というものが、物語の構造――プロットがあってストーリーを追っていくという構造――に、ある意味囚われてしまっている、と彼は言っているし、僕もそうだと思います。その構造からいかに自由になれるか、でも自由になり過ぎてしまって例えば非常に抽象的な文体で映画を作ってしまうと、それは観客にとっては何のことだかわからなくなってしまう。
観客に、現在起こっている状況を理解するだけの情報を与えなければいけないし、その情報を体系化して考えるための道筋程度のものを与えなければ、観客がその作品の中に入り込むことができないということなんです。そのことが彼にとって大きなジレンマでもあり、ただそのことを考えるのは自分にとっては面白いんだとも言っていました。
やはりロバート・クレイマーという人は常に現在形の映画作家であり続けた人なんですよね。もし今生きていれば、39年生まれなんで61歳になるわけです。61歳になる時に、我々が見ることのできる彼の最後のほうの作品というのは、彼が50代後半で作ってる作品なんですけど、その50代後半の映画作家がこんなにも新しいことにどんどんチャレンジして、新しい技術をどんどん取り込んで、自分の作品を作ろうとしているということは、我々にとってはある種の驚きなんです。
例えば僕なんかの世代がちょうど高校生くらいではアイドルであったヴィム・ヴェンダースであるとかベルナルド・ベルトルッチだとか、テオ・アンゲロプロスみたいな人たちが、みんな結局自分の作風のワンパターンの罠に陥って非常につまらない映画を作るようになってしまって、現在の映画というものを撮れなくなってしまう中で、確かアンゲロプロスと同じくらいの年でヴェンダースよりちょうど一世代上になるロバート・クレイマーはどんどん変わり続けているし、新しいことにもどんどんチャレンジしていて、その中で彼はあくまで自分はシネマを作りたいと言いながらも、晩年には、晩年という言い方も非常に嫌なんですけど、ビデオの作品もかなりいっぱい撮っていたわけです。
なぜビデオで撮るかという理由のひとつが、特に家庭用のデジタルビデオカメラが出来たことが彼にとって非常に大きな違いになったわけです。もちろんそれ以前からベータカムだとかで撮ったものもあったし、ベータカムで撮るということはフィルム代が安くなるという予算上の問題なんですけど、家庭用デジタルビデオカメラが出た時に、それはつまり先ほど言った映画作家の視点の問題とも繋がるわけですが、映画カメラに比べてはるかに小さい、つまり16ミリのカメラよりもっと小さいわけですから、こうやって持ってて撮れてしまうわけだから、正に自分の目の延長としてカメラが使える、自分の見たこと、考えたことをそのまま映像に定着できるということが彼にとって大きな魅力だったんだと思います。
ただし一方で彼はビデオの限界というものも分かっていたし、逆に言うと映画の限界というものも非常によく考えていた人でした。彼から見ると映画というのは、基本的には非常に19世紀的な発明品であると、そして映画の最も優れた役割は我々の近現代の社会を撮ることであり、それは近現代の社会に生きる人間を撮ることであり、その世界を撮ることが映画のプロジェクト――哲学用語で言うと「投企」という訳語になりますけど――それだと彼は言っていたんですが、ビデオはまたそれとは全く別のものだと。
ビデオに一番向いているものは何かというと、それはポルノグラフィだと彼は言っています。つまりその人間の肉体や、肉体に伴う官能性であるとか身体性というそのものをビデオでは捉えることは非常に難しい、ほとんど不可能に近い、それは映画が撮るべきものであったと。残念ながら、現在の映画というもの現在のシネマというものは、そういう意味では死につつあって、例えばハリウッドの映画はムーヴィーではあるかもしれないがシネマではないと。つまり人間とは何かということを描くものではなくなってきている、その意味では今シネマは死につつある、というのが彼の考えでした。
一方で自分の目の延長としてのビデオカメラを使えるということも彼にとっては非常に大きな魅力であり、言い換えれば撮ってる人間そのものがカメラになってしまえるわけですよね、ビデオカメラを使うことで。そこでビデオカメラで作った作品で、例えば東京映画祭のビデオ部門でやったんですが、『マント』という作品がありまして、これは、ロバートが、ビデオは人間の官能性や身体性を表現するには向いてないと言っていた割には、自分ではものすごく官能的で身体的な作品を作っていたんですよね。
『マント』という作品は、主人公はロバート・クレイマー自身が演じる映画作家で、しかも主人公のすべて主観ショットで出来た映画というものなんですけれど、主人公が妻を交通事故で失ってちょうどその時ペルーか何かで見つかったインカ文明か何かの魔法のマントのようなものについてのドキュメンタリーをTV局から頼まれて作るという設定なんです。それで妻が死んだ後、それと前後して、そのマントの秘密を知っている――マントはベルリンで行方不明になっているという設定なんですが――その鍵を持ってるらしいパリにあるラテンアメリカ系のコミュニティに入っていって、そこである青年、というか少年ですね、その少年と出会ってその中で、ロバート演じる映画作家とその少年の間にある種の官能的な結びつきが生まれるという作品でした。
で、当然その官能的な結びつきが生まれるからにはやっぱり映像が官能的でなければいけないんですが、この『マント』という作品の映像が極めて官能的なんですよね。それはビデオで撮っているのにこんな官能的な映像が撮れるというだけでも信じられないし、一方であれを撮った時ロバートは56か57歳で、そんな歳にもなって何だこのエロおやじと言いたくなるくらい非常にエロティックな要素もある。別にポルノシーンがあるわけでは全然なくって、カメラが妻を見ていたり、あるいはその青年を見ていたりする、そのカメラの眼差しそのものが非常にエロティックな、エロティックって言ったら多分怒られるんだろうな、センシュアル、官能的であると言った方がいいと思いますが、そういう撮り方が出来て、それが出来るってことはものすごく僕にとっては驚きだったんです。
で、ビデオは官能性の表現に向いていないって言うけれど、あんたはそういう映画作ったじゃないかって言ったら、その為にはものすごく大変な努力が必要だったとあっさり一言でかわされましたが、照明など色々細かいところに気を使ったそうです。そういう新しい表現の可能性を開拓していく、しかもそれをわざとその表現手段の持っている特性と別の方向に向けてでも開発していこうということを考えるだけの非常に柔軟で野心的な発想を持っていた人だったんです。しかもそういうことで評価するんじゃなくて、自分がそこまでやって作ったものを見て、問題はお前がこの作品を見て自分の生きている世界をどういう風に受け取るかということが大事なんだよという風に何度も言われました。
ロバート・クレイマーは、最新作が今年のロカルノ映画祭で上映されてそれが遺作になってしまって、その編集が終わるか終わらないかの時に、病気は何だったか、脳に炎症を起こしたか何かで突然亡くなってしまったんですけど、それが去年の11月のことでした。実は僕去年の11月の後半にフランスに行くことになっててその時に久しぶりに会おうということになってたのが突然死んだってことで、まぁ、すごいショックだったんですけど、僕が連絡取り続けていた理由のひとつが、彼が日本でどうしても映画を作りたい、日本で映画を作ることで日本の若者たちと対話をしたいということを考えていたんです。
そこで彼の考えていた構想のシノプシスを送ってくれて、僕が翻訳したりしたんですが、それが三島由紀夫とジャン・ジュネにインスパイアされていたもので主人公が中年あるいは初老の画家で、それは西洋人の画家なんですが、その西洋人の画家が日本に住んで絵を描いていて、それがある日本の若者と会って彼を愛するようになる。
僕自身がそういうものが日本にあると全然知らなかったと言ったら思い切り馬鹿にされたんですけれど、サカタのあたりで見たらしいんですが、若者たちがいっぱい集まってローラースケートやスケートボードみたいなものをやっている場所があったと。そういうものを見たから、そういう若者が集まってる場所で主人公がたまたまそういう場所に出くわしてそこでその少年と出会う、で、その少年の身軽さであるとか才能を感じて彼を恋するようになると同時に、彼を軽業師、綱渡り芸人として修行させようとするという話なんです。
で、話の途中で結局かなり無理をさせてしまって、少年は反発しながらも主人公から離れられなくて少年が綱渡りの練習してる時に落っこちて大怪我して半身不随みたいになってしまって、体中に義足や義手をつけた半分機械人間みたいなものになっていく、そこから主人公はまたインスピレーションを受けて今度は機械と人間の身体の融合した絵画を描き始めるというかなり恐ろしい話なんです。
僕にこのシノプシス送ってきた時に『マント』でもいわゆる同性愛的要素があったけど今度はゲイシネマを作るつもりなのかみたいなことを言ったら、これがめちゃくちゃ怒られまして、怒られたというか、お前はどうも俺の考えていることがわかっていないようだというFAXが届いて来て、それでしばらく議論のFAXのやり取りが2,3日続いたりしたんですけれど、彼のコンセプトからすれば、例えばそういう男同士の恋愛や愛情があるからと言ってそれをゲイフィルムというような枠組みにとらえること自体が彼にとっては正しいことではない、それは枠にはまった考え方でしかなくて、そういう枠を壊すようなことこそお前たちは考えなきゃいけないんだっていうことを彼は僕に言いたかったんだと思います。
結局その作品ももし彼が去年死んでいなければ、今ごろ日本で撮ってて僕も多分現場で通訳だとかやりながら手伝ったことになったんだろうと思うんですけれど、そういうことにならなかったというのが非常に残念でならないと思います。
とにかく現在形の映画作家であるべきロバート・クレイマーの映画を、亡くなった人の回顧上映という形でとても残念なことでもありますが、とは言え彼の作品がほとんどまだ日本で上映されていないということを考えると今後も上映活動は続けたいと言う人が何人もいますし、彼が日本で作品を作るということが出来なかった、彼が日本で撮った作品を通して日本の若者との対話っていうものの手伝いは出来なかったけれど、せめて彼が今まで撮って来た作品を、過去のものであっても十分に今現在世界で起こってる問題についてのもので、それに対する非常に鋭い問いかけを投げかけていて我々に考えさせる作品になっていると思います。このような作品を今後もなんとか上映を続けることが出来ればといいと僕は考えています。
こういったところで僕の話はこのくらいにさせていただければと思います。
どうもご静聴ありがとうございました。