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冨永昌敬  『亀虫』DVD発売記念インタビュー

『亀虫』は練習です。 冨永昌敬インタビュー 聞き手 梅本洋一
 

--地元(愛媛)で他に日大芸術学部にいった友達っている?

冨永 皆無ですね。

--どうやってそういう大学を志望する気になるものなの?

冨永 まず、適当に進学して東京に出ちゃったんですよ。とりあえず東京に出ればいいと思っていたから、入れるところに入っただけって感じで。四国の山奥から東京に出たのに学校が山奥にあって、うちの実家も結構な山奥なんですけど、大して変わらないんですよね(笑)。ただ東京に出てくるきっかけに過ぎなかったのもあって、やっぱりつまんなくて、体育の授業だけ出て一年生の半期で辞めちゃったんですよ。  
それでまた受験することになったんですが、そのときは、映画をやってみたいとは思いつつも、習えるものだとは知らなくて、文学部とかを志望してたんです。受験ぎりぎりになって日大に映画学科なるものがあるというのに気づいて受験したら、結局受かったのが日芸だけだったんですね。まあ、なんで気づいたかというと、ウッチャンナンチャンのウッチャンが、番組の企画で「日芸映画学科を受験する」というのを見たからなんですが(笑)。だから日芸一直線だったわけじゃなくて、たとえば「強くならなきゃ」と思って空手道場に通ってみたりして別のことも考えていたんですけど(笑)、強いて言えば映画だったという感じです。  
何しろその1年は、学校はやめちゃうし空手も長続きしなかったし、友達もぜんぜんいなくて、本当に映画ばかり見ていたんです。その1年で見た本数が、それ以降見た数より多いですからね(笑)。一応受験勉強しなきゃいけないのに、ビデオばっかり見ちゃうから「もう借りない」って会員証をハサミで切ったりしてました。でも、どうしても見たくなって再発行してもらってたんですけど、さすがにそれを3回も繰り返すと何か怪しいんで、店員のお姉さんに事情を説明したら笑われました(笑)。でも、そんな時期に大島渚の『大島渚1960』を読んじゃって、そのせいで「俺は監督にならねばならない」とか思っちゃったんですよね。

--でも、日芸に入っても映画監督になる人はほとんどいないわけだよね。

冨永 うーん、でも気持ちの持ち方は日芸で教わったような気がするんですよね。入ってすぐ8mmカメラを渡されて、授業時間内に撮って来いっていう授業があったんですけど、クラス20人のなかで何も映っていなかったのが僕だけだったんですよ(笑)。フィルムの装填を間違ってまっ黒だったんです。意気込んで入学してこれか俺はってかなり落ち込みました。  
日芸ではいまだにいきなり8mmフィルムで撮らせていると思うんですけど、最初にフィルムで教わるかビデオで教わるかでかなり違ってくると思うんですよね。以前、知り合いづてにエキストラいなくて困っている子たちがいるって頼まれて、撮影にいったときにびっくりすることがあったんですよ。僕よりずっと年下の自主映画やってる子たちだったんですけど、DVで撮影していて、「もう1テイク撮ろう」っていうときに、巻き戻して重ねて撮ってるんです。まあ、『亀虫』のときには大いに参考にさせてもらいましたけど(笑)、それを見たときはショックでした。結局1テイクずつしか残らないわけですから。その子たちは極端な例かもしれませんが、いま振り返ってみると、学校で8mmから教わったことは良かったんじゃないかと思ってますね。  
それと、日芸には大島さんのキャメラマンだった川又昂先生がいたんですよ! これはものすごく大事なことです。『大島渚1960』を読んだ僕にとって川又先生は神ですよ。卒業制作の『ドルメン』を誉めてくださって、審査の席上で誉めてくれたのは川又先生ただひとりだったんですけど、あのとき、今後何があっても絶対に映画をやめないと決めました。  
まあ、8mmカメラをいきなり持たされたり、遅刻して怖い先生に「君たちはもう作家なんだから自覚を持て!」って言われたりすると、「自分は監督なんだ」って20歳ぐらいで思いこんじゃうんですよ。日芸出身者は助監督をやってもあまり良くないとか言われるのは、たぶん大学のときに自分は監督なんだって思っちゃうからじゃないでしょうかね。たとえば、カメラの月永(雄太)なんかも撮影助手の仕事とかやらないんですけど、それは自分はすでに撮影監督なんだって思ってるからです。それで、やっぱり自分を一端の監督だと思っていた僕と意気投合して、「とにかくやろうよ」って感じで撮ってきたんです。

--月永君や録音の山本タカアキ君とは在学中から一緒にやっていたの?

冨永 山本とはずっと一緒です。月永と組んだのは卒業してからですね。月永は撮影クラスにいたんですが、どうも監督をやりたかったらしくて、撮影依頼はほとんど受けてなかったらしいんですよね。なんかひとりでドキュメンタリー撮って、長野の山なんかにものすごい美しい風景を撮りに行ったりして(笑)。でも彼が撮ったその美しい風景なんかの映像を見て、同期では一番優秀だと思いました。あと、映画の趣味が合ったというか、特にふたりとも『暗殺の森』がすごく好きだったのもあって、一緒にやるようになりました。96年に『暗殺の森』がリヴァイヴァルされたとき、僕がチラシとか持ち歩いていたら、月永が「俺も持ってる」ってチラシを何枚も鞄から出してきて、ふたりで大喜びしてたんです(笑)。あと『マスターズ・オブ・ライト』ですね。あの本を貸し借りして、いいないいなと。川又実習の最終日に、帰りがけの川又先生を追っかける僕を静かに見守っていたのも月永でした(笑)。

--冨永君にしろ月永君にしろ、他の現場で助手を経験したりしていないわけじゃない。でも、この前『オリエンテ・リング』(遊園地再生事業団の映像公演「be found dead」のなかの1本)の現場を見た限りでは、他の撮影現場とほとんど同じやり方してるんだよね。学んだわけじゃないのに、そうなるのがすごく不思議。

冨永 そうですか? まあ、ある程度は日芸で充分学べるんでしょうけど。とは言っても、山本は一時期テレビドラマの現場で働いてたし、照明の大庭(郭基)は普段は映画の照明助手やってるんです。でもやっぱり不安は不安なんですよね。自分たちは今まで当たり前のようにこうしてきたけれども、もし毛並みの違う人たちと映画をつくる場合に、やりにくく思われることがあったら嫌だなとは思って。俳優さんとかに、「ふつうの現場だったらこういうところちゃんとしてるのに……」って思われるのは嫌なんですよ。

--いや、堂々とした演出ぶりだったよ。俳優にはちゃんと具体的に指示を出すし。

冨永 あ、具体的なほうがいいんですね。実はいま悩んでるんですよ。自分がやっているのは演出なんだろうか、ただ段取りつくってるだけなんじゃないかって。まあ、それも演出だって言われればそうかもしれないですけど。

--青山(真治)なんかは、段取りこそが演出なのだってことを書いてたよ、まあ敢えてなんだろうけど。それに、たとえば舞台演出家でも、馬鹿な人は抽象的なことを言うんだけど、ピーター・ブルックとかあたりになると、すごく具体的だからね。「<それは>で1回息吸って、次を言ってください」とか。

冨永 そういうことは僕も言うんですよ。「ここまで台詞喋ったら1回大きな瞬きしてください」とか。アップを撮るときとか、瞬きって邪魔じゃないですか。無意識に瞬きされると何か意味があるように思えちゃうから、むしろ瞬きするんだったら意味ありげやるか、まったくしないかにして下さいって。そういうことは気をつけてるんです。  
ただ、前々からもっと役者のことを面白く見せることができるんじゃないかって考えていて。この前、『be found dead』に参加させてもらったとき、宮沢章夫さんはもちろんですが、他の監督さんも演劇も並行してやってる人たちで、俳優さんとの現場でのやりとりが濃密な感じがしたんですよ。作品単位でいろいろ違いはありますけど、演技が面白かったんですね。映画にとってそれが必ずしも良いことであるかどうかは抜きにして、俺はここまではやってないって思ったんですよね。必要かどうかは別として、自分ができていないことを見ちゃって、過剰に反応してしまったんですよね。

--そう言えば、『オリエンテ・リング』を撮る時、最初に「全部いっぺんにやってみましょう」って言ってたじゃない。いつもそうやってワンシーンいっぺんにやろうとするの?

冨永 いや、あのとき初めてそうしたんです(笑)。それまでは、それぞれのカットのこと相談したら、撮る順番決めてとっとと撮ってたんですよ。でもそうすると繋がりが悪いんですよね。『VICUNAS』とかでも繋がりが悪いところが多かったんですよ。

--っていうことは、変に重なり合ったような編集なんかも本意ではなかったってこと?

冨永 いや、テンポが速い映画にしたかったんで、そうしようと思ってたところもあったんです。でも、不本意にそうしたところもあります(笑)。あの映画は月永と組んで初めての映画だったこともあって、そんなに思うようにいかなかった部分もありましたね。月永の言うことを聞いていれば、もっとうまく繋がったのかもしれないですけど、僕が「この構図はこことここをぴったり揃えてよ」とか言って(笑)。そういうことばかり言ってると、次との繋がりが悪くなっちゃう。ちゃんとその場に則した考えがあって口を出すんだったら違ってくるのかもしれませんが、そのときはたぶん『暗殺の森』のスチールを見てかっこいいと思うのと同じで、ただこのカットをかっこよく撮りたいっていう考えでしかなかったように思います。

--あ、あと聞きたかったのが、冨永君の脚本って徹底して無内容なテクストじゃない。コンテクストがなくて。シナリオとかどうやって書いてるの?

冨永 それは……やっぱり聞かれちゃったかと思ったんですが(笑)、自分が未熟だから会話らしい会話が書けないってことなんじゃないかと……

--いや、そうじゃなくて、たとえば『亀虫』のDVDで中原昌也君とやってたコメンタリーのほうが全然内容があるんだよ。「江古田にバイク屋がある」「その近くに当時好きだった女が住んでた」っていう内容がよくわかるわけじゃない(笑)。でも、冨永くんの脚本は、いわゆる不条理劇系列のテクストと同じような感じ。簡単に言えば、台詞に因果関係がない。

冨永 うーん、たぶん僕にとっては、台詞が何のためにあるかっていうと、情報伝えるためにあるんですよね。だから順をおって、この情報をこの人が言ったら、今度はこの人がこの情報をっていうように、会話の流れよりもキーワードのほうが優先されちゃうってことになってるかもしれないです。

--その情報っていうのは何の情報なの?

冨永 こういう設定なんですよっていう……

--ただ、その設定が映画全体においてはまるで関係ない。

冨永 映画のなかで必要なんですけどね……

--たぶん冨永君の必要性と見ているほうの必要性にばらつきがある(笑)。たとえば『be found dead』の他の作品にしても、死体が出てくるまでのプロットがあって、そのプロットのなかで、いまこれを言っておかないとこれがわかんないぞっていうのが台詞としてあるわけだよ。でも、冨永君の台詞には最後までお客さんが知らなくても構わない部分がかなりある。具体的な地名がいっぱい出てきて、地図の上に点つけて探しに行けっていうけど、地名は知らなくても構わないじゃない。

冨永 ああ、なるほど……たとえば『亀虫』のゴミを片づけるところのナレーションは、ゴミを小分けして大きい袋に入れているっていうのと、プルトニウム原爆の構造がたまたま同じだったから、ああいうふうにしたんですよね。そうやってナレーションで大袈裟なことを言わせるわけですよ。天文法華の乱とか、太平天国の乱とか、ああいう大袈裟な事柄はナレーションでしか入れられないんですよ。実際に太平天国の乱のシーンは撮れないですから。あれは、江古田よりも広いものを導入してもっと大きい映画にしたかったんですね。「1536年天文法華の乱、1851年太平天国の乱、2003年『亀虫の嫁』」って言ってるんですけど、歴史のなかの『亀虫』ってことにしたかったんです。  
それと、「ニカラグアでコントラゲリラが育てたバナナがマラッカ海峡を通って日本に来ているんだ」っていう主人公のナレーションを、姉役の安彦麻理絵さんがバナナ触っているところで言わせているのも、世界のなかの『亀虫』っていうことを大袈裟に言いたかったからなんです。2話目の『亀虫の嫁』を撮ったときは、そういう図々しい気持ちがありました。4分だから大袈裟なことを言って大きい映画に見せようと思って、世界史と世界地図を入れたっていう。興味もないのにコントラゲート事件とか調べて(笑)。

--冨永君の脚本は、シナリオ学校の先生とかには「いけないシナリオだ!」って言われるんだろうな(笑)。

冨永 大学のときずっと言われてました。シナリオの成績はたしかずっとCだったと思います。いやあ、だから変なこと言いますけど……良いシナリオの書き方とかいまから勉強できないもんですかね(笑)。

--しないほうがいいと思うけど(笑)。でも、シナリオがないところから始めたりはしないの?

冨永 はい。ただ、『亀虫』だけはあらかじめ書かないって決めていたんです。でも、4、5話目はネタ切れしていた上に、現場に行っても何も思いつかないような気がしたんで、数日前に一生懸命書いて、でも結局途中までしか書けなくて、現場で余計混乱してしまいました(笑)。

--シナリオが途中までしかできていなかった場合、撮影や編集作業はどういうふうに進めていくの?

冨永 その場合は、足りないところは現場でああしようこうしようって何とかひねり出して。その後、編集でまずだいたい繋いで、これでも何の話か見えないなっていうんで、そのときにナレーションを書くんですよ。補足を補うためのナレーションと、それとは関係なく、「天文法華の乱」なんかの背伸びをするためのナレーションと。少しはこれで大人っぽく見てもらえるかなぐらいの気持ちなんですけど(笑)。

--日本映画でこれだけナレーションが入っている映画も珍しいよね。

冨永 本当はナレーションってすごく嫌いだったんですよ。偏見かもしれないですけど、映画のナレーションって、自分のことばっかり喋りやがってっていう気がしてたんです。  
僕が見た限り、日本映画のナレーションで一番面白かったのは、『冷たい血』の最後ですね。「その後私は女房とよりを戻して、彼女の実家の家業を継いだ」ってところ。まだ青山さんにも聞けてないんですけど、家業が何屋なのかすごく気になるんですよ。僕は団子屋だと思ってるんですけどね。家業っていうから、屋号があるような店で、石橋凌さんが何か焼いてなきゃだめだよなって(笑)。「家業」っていうのがすごく印象に残ったんです。何で団子屋とか煎餅屋とか土建屋って言わずに、「家業」って言うのかなって逆に気になりますよ。僕だったら、絶対「どこそこの島の村役場の観光課に…」とかしちゃうと思うんですよ。島のこととかすごい気になっちゃって調べたりして、トビウオが来る島がいいとか(笑)。余談ですけど、僕の実家は旅館と仕出しとスナックやってます。屋号は「ふじや」です。

--そこらへんの具体性は思いっきり出てくるよね。『VICUNAS』の「のみくい虫」とかにしても。

冨永 本当はCGでつくって出したかったんですよ。顕微鏡で覗いてるってショットを考えていたんです。クワガタみたいな形で、色は透明で、ノミやダニを鋏でパチンとぶち殺すっていうのもちゃんと考えていて、最後その「のみくい虫」をやっつける新種の虫の形状も考えていたんですけどね。CGを頼んでいた友達がトンズラしちゃって、そいつの家の前で夜中張り込んだりもしてたんですけど、結局連絡が取れなかったんです。後々、人づてに「本当に嫌だったらしいよ」って耳にしたんですけど(笑)。

--『オリエンテ・リング』の水道水に有害物質がどうこうってところも妙な具体性があったよね。

冨永 あれは具体的に言わないと住民が信用しないわけですから。

--でもああ言われても実際には誰も信用しないよ(笑)。

冨永 本当はちゃんと水道ボルトが老朽化したときに発生するかもしれない物質っていうのを調べようと思ってたんですけど、結局面倒くさくて調べないままで、「化学に詳しい人は誰も見ないだろう」と思って、塩化ベンジンとか硫化マグネシウムとか有害かどうかもわからないで使っちゃったんです(笑)。

--そういう具体名を出すのは、ある種信用してほしいって気持ちもあるわけでしょ。ただ、細部にこだっわった具体名を出せば出すほど、話自体は抽象度が上がってデタラメに聞こえてくるわけだよね。

冨永 僕としては、台本がデタラメだっていうふうに言われると、普段話してるときにも実は理解されてなかったのかなって不安になっちゃうんですよね(笑)。でも僕は人とちゃんと会話できる人間なんですよ。いままで楽しくお話したこと何度もありますよね?

--それはわかってるよ(笑)。ただ、いままではだいたい同じ俳優さんでやってるから、「冨永ってこういう奴だからな」ってわかった上で台詞を読んでいるところはあると思うよ。

冨永 いや、ずっと一緒にやってる奴らでも、何が書いてあるかわかってなかったらしいんですよね。『VICUNAS』が完成したときも、ずっと現場にいた主演の嘉悦(基光)が「へえ、こんな映画だったんだ」って言ったときなんか、ほっぺたつねろうかと思いましたけど、そしたら、みんなそう思ってたらしいんです(笑)。この前の『オリエンテ・リング』の台本も、みんなに渡して「今回はわかるでしょ?」って聞いたら、「いやいやいや、そういうんじゃないから」って反応で。

--だけど、一方で、デタラメだって言いつつ喜ばれているところもあるわけでしょう(笑)。

冨永 どうもそういう節があるから嫌なんですよ。たとえば出演者の杉山(彦々)や福津屋(兼蔵)なんかが、「お前の台本はよく分からないけど、いちいち指摘すると却って面白くなくなるから言わない」とか言うわけです。そういう、馬鹿と遊んでやってるみたいな言い草には困りました(笑)。  あと、正直言うと『亀虫』が一番評判良いのは嫌なんですよね(笑)。確かに『亀虫』は良い結果に結びついていると思うし、シネマ・ロサには心から感謝してますけど、ほんの少し、個人的に乗り切れない部分があるんですよ。それは、やっぱり『亀虫』は練習のつもりで始めたものだからなんです。どうも自分の家の台所を見られているみたいっていうか、玄関じゃなくて勝手口から客を入れているような気がしちゃうところがあるんですよ。 そういう気持ちが公開中の青山さんとの対談にも影響していて、道理でニール・ヤングと小久保選手の話しかしなかったなあと。

--でも、だからってわけじゃないだろうけど、特に『亀虫』なんかを見てると、衣食住の面でこれしかないってものを選んでるよね。演出って衣食住だからさ。『亀虫の妹』ではどうしてカレーをつくらせたの?

冨永 あのときスタッフで来てくれてた嘉悦がカレーに詳しくて、カレーだったらあいつ教えてくれるなと思って。あれはおいしかったです(笑)。終わったあと食べて、食器片づけずにほったらかしにして、翌日の撮影のときに片づけるシーン撮ったんです。あんなに無駄のない現場はなかったですね。

--洗濯物にしても、あのマンションじゃなきゃ屋上に干すことはないわけでしょう?結果かもしれないけど、そういう選択が綿密にはたらいているような気がする。

冨永 『亀虫の妹』はほんとにうまくいったんですよね。何にも準備しなかったのに、ありとあらゆることが、あらかじめ準備されてたかのように揃っていて。そもそもガストとアコムとレッドロブスターが窓から見えるっていう時点でこれは使うしかないって思って。レッドロブスターはもうなくなっちゃたんですけど(笑)。   
木村(文)が煙草を吸うところで、しばらくして灰皿が載ってるのがテレビだったっていうカットがあるんですけど、そのとき放送していたのが競馬中継だったんですね。それもたまたま撮影が休日の昼間だったからなんですけど、あれはよかったです。カメラが上からすーっと下りてきたら、画面を馬が横切っていて、しかも画面分割されてて上に小さい画面が出てたから、すごくいいものが撮れたなって思いました。

--『亀虫』は一応5話までをセットとして出たけど、6話目以降はないの?

冨永 6話目以降をつくったとしても公開するのは考えようと思っています。何度も言いますけど、あれは練習ですから。僕がいつも思ってるのは、卒業はしたけど、自分たちは今年で映画学科の9年生なんだと。『亀虫』は9年生実習なんです。だからしばらく様子を見て、本当に公開するに相応しい出来だと思えたら公開しようかなと。  
この前のは、3話目までつくった時点で公開が決まっちゃったんですけど、それがプレッシャーになっちゃって。そのうえ5話までつくれるほどアイデアがなかったことに気づいたんですよね。4話目以降の実習カリキュラムをろくに考えてなかったというか。タイトルはあらかじめ4話目を『亀虫の性』、5話目を『亀虫の吐血』にしようって決めていたので、『亀虫の性』はタイトルそのままでやってしまって、ネタ切れだったから、「1話目と同じことをしますけど、それはわざとですよ」ってことをナレーションで言わせたり、本当に言い逃れをしながらつくったんです。つくった後に、これは本当にひどいから、最後こそちゃんとやろうと思ったんですけど、よくよく考えると、『亀虫』は実習なのに、ちゃんとやろうって思ってつくるのもおかしい。そういう点でも悩みましたし、それでも公開は迫って来るので、苦しんだ挙げ句、主人公を変えて、音楽を青山さんにお願いしたんです(笑)。それで、実習のつもりでつくってたのに頑張ろうと思っちゃったってことは、今までやってきたことに逆らうことになるから、じゃあもう台無しにしてやろう、出来がよかろうが悪かろうが台無しにしなきゃ解決しないって思って、『台なし物語』ってタイトルにして、それ以前の主人公たちに死んでもらったんです。  
たださっきも言ったように、やっぱり『亀虫』が一番とっつきやすいって言われるんで、結果的に成功しているということなのかもしれませんね。4、5話が出来が悪いと思ってるのも、あくまで僕個人の達成感の問題ですし。

--やっぱり老若男女問わず映画館が満員になって欲しいなって思う?

冨永 ああ、そうなって欲しいですね。僕、子供にも喜んでもらいたいんですよね。今年の春にうちの地元で上映会を開いてもらったんですけど、地元だと親戚とか友達とか来ちゃうわけですよ。「ああお前だけには来て欲しくなかった」っていう中学3年生の従兄弟が見に来ちゃって、上映が終わった後、「もっと楽しい映画つくってくれ。こんなのわかるわけないじゃん」って言われてしまいました。どうも従兄弟のお兄ちゃんが映画監督になって帰ってきたって喜んでくれてたらしいんで、悪かったなあって思ったんですけど(笑)。   
しかもまずいことに、上映会の宣伝のために地方局の夕方のニュースに出演させられたんですよ。キャスターに「日本映画の未来を担う冨永監督」とか派手なことばっかり言われるから、「いや、ご覧になっていただければわかると思いますけど……」って卑屈になってたんですけど、収録後ディレクターに「テレビってこういうもんですよ~」とか言われて、首絞めてやろうかと思いました(笑)。そのせいでおばちゃんとかが「どれどれ」って感じでいっぱいきちゃって、はらはらしましたよ。まあおかげでたくさんの人に来ていただいたんで感謝してるんですけど、個人的にもっと子供が見ても面白い映画を撮れないものかと考えちゃいましたね。

--いま書いている長編のシナリオはこれまでのとは違う?

冨永 違わないようにしようと思っているんですけど、そうかと言って、いままでのみたいなものでは長いと苦しいんじゃないかっていうのもあって。完全に倍以上の長さのものをつくるわけだから気をつけようとは思ってるんです。とりあえず、ワンシーンは長くしましたね(笑)。っていうのは、あっちこっちで少しずつ撮ってたら撮影期間が延びちゃうんで、なるべくワンシーンを長くして、シークエンスごとに章を設けて、短編のときとなるべく変わらずつくれるように、保険をかけています。あと、体力づくりも始めたんですよ。

--アルノー・デプレシャンも長編の撮影に入る前は、煙草の量を半分に減らして、毎朝ジョギングするんだって言ってたよ。

冨永 おお、そうなんですか!じゃあ僕は本数じゃなくて、タールを半分にしますよ(笑)。

 まとめ・構成:黒岩幹子 インタビュー協力:樋口泰人 2004年8月13日 新宿らんぶるにて